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【今後の練習予定】
5/16 アカデミー湯島
5/23 アカデミー向丘
5/30 アカデミー向丘
(いずれも19:30~21:30)
6回目のテーマは、「森山流の「翻訳」」です。
<第3話「森山さんが作曲する時一番好きな作業は何か?」はこちらから>
<第5話「同世代の詩人、現代詩の言葉に向き合う」はこちらから>
6回目は、森山さんが今回の組曲「鼓動」のために選んだ4篇の詩について、たっぷりと語っていただきます。
【文責・sop 小国綾子】
■ ■ ■
●田中佐知の詩をどう読んだか●
森山さんが最初に選んだ田中佐知さんの詩は「鼓動」でした。
<鼓動は最初、アンコールピースとして書きました。だから佐知さんの詩集の中から、心に響いたものを1篇だけ選びました。「鼓動」という詩を選んだのはきっと、人間の動きがそこに内包されている、と感じたからだと思います>
具体的には、こんな一節。
森山さんはこの一節があったからこそ、「鼓動」を作曲したいと強く思ったのだと言います。
「いま あふれくる海のように あなたがいる」
<すごいですよね。「あなた」という人を海に例える時、普通だったら、広く、大きく、泰然として動かない存在だと思うでしょう? ところが、この詩では「あふれくる海のようなあなた」ではなく「あふれくる海のようにあなたがいる」となっている。つまり「あふれくる海のように」は副詞句として、「あなた」ではなく「いる」を修飾しているんです。存在の中に海のうねりのような動きが内包されている、だなんて! わずか3行で、こんなに鮮やかに動きを描けるのか、と感動しました>
この詩に限らず、森山さんは存在や言葉の内側に動きが感じ取れるテキストを選ぶことが多いようです。
<なぜなら、存在の中に動きが内包されている、ということこそ、音楽を愛する人が常に求めていることだから。常に動いているということ。自分はここに立って歌っているけれど、体の中にとても大きなエネルギーがあること。音楽をする人たちの一つの理想だと思うんです。だから、運動が内包されている詩的表現はとても好きなんです>
1曲目に選んだ詩「風はいつも」にも、森山さんは「運動」を見出しています。
<1曲目に置いたのは、「風はいつも水色を含んでいる」という出だしの言葉が素敵だったこともあります。詩の中の「水色」「湖水」「すき通っている」「透明」などの言葉も、具体的なイメージを喚起しますから。でも、この詩の一番好きなところは、やはり最後の連ですね>
最後の連、というのはこんな一節。
「風はいつも 通りすぎるものだから わたしは 今を 通りすぎていると わかるのです」
この一節について、森山さんはこう語るのです。
<普通だったら、「風はいつも 通りすぎるものだから 今が わたしを通りすぎていると わかるのです」と書くと思う。「風がわたしを通りすぎる」とパラレルに文章を並べるならば、「今という時間がわたしを通りすぎる」となった方が形式上は自然です。そこをあえて、「わたしは 今を 通りすぎている」書くことで、「私」という存在の中に運動が生まれる。そこが本当に好きですね。風はわたしを通り過ぎ、わたしは今を通り過ぎる。つまり「わたし」と「風」とが共振しているわけです。一読して、ああ、ここを書きたい、と思ったんです>
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森山さんが「ここを読んだから作曲したいと思った」と語る詩の一節に、いったいどんなメロディーが書かれたのか。ぜひ、ぜひ聴きにいらしてくださいね。Ensemble Polanoの第三回演奏会(4月1日午後2時開演、川口総合文化センターのリリア音楽ホール)でお待ちします。
次回7回目はとうとう最終回。森山さんがずばり、言葉への思いを語ってくれます。どうか、お楽しみに!